
1月特集 年の始めは、何となく…「湘南」…
【投稿日:2012年1月26日】
湘南海岸1月の夕景
新年最初の特集は、このサイトの名前にも因んで 『湘南』 を取り上げました。
≪あとがきにかえて…1月26日≫
今回、私たちが暮らす「湘南」をテーマとしましたが、紹介できたのは勿論ほんの一端…是非又機会を作って「湘南に暮らす喜び」を取り上げたいと思います。
この特集を纏めるにあたり、シニアの方々に2つの質問をしてみました。
①あなたが、出身地にいた時に「湘南」と聞いてどんなイメージを受けましたか?
②あなたが「湘南」に実際に住んで見ての感想は?
前者の質問は設定が数十年前?が中心となる関係か、「湘南ボーイ」などが一部で意識されていた程度で、「湘南」そのものはあまり浸透していなかった模様です。今日、全国区となったブランド「湘南」もやはりここ最近なんだ…という実感でした。
後者については、皆さんが現に「我が暮らす街」ゆえでしょうか、一様に「明るい」「暖かい」「居心地良い」「オシャレ」「住みやすい」…好意的な感想ばかりで、悪くいう人は一人もいませんでした。それを聞いていて、何となく嬉しさを感じた一人でした。
≪はじめに…1月1日≫
“湘南”というイメージを色に置き換えると、何色が思い浮かびますか?
夏の海の明るいブルー…
冬の海の暗い青…
今にも雨の降りそうな灰色の雲の色…
ギラギラ照りつける太陽のオレンジ…
はたまた防風林の緑でしょうか
それは人、様々なことでしょう。
“湘南”という地名の由来や “湘南エリア”という地域の区分の成り立ちは話を進めていく
上で、勿論、大事な事かもしれません。
でも、今月は堅い話は抜きにして、“ほっこり”“ゆったり”“まったり”と、それでいてどこか
スマートな我が“湘南”について、気軽に、そして少し偏って語ってみたいと思います。
■湘南の蘊蓄…編
とはいうものの…
ちょっとだけ名前の由来などに触れておきましょう。
【湘南の名前の由来は…?】
「湘南」の地名は、もともと中国湖南省を流れる「湘江」という川の「南部」のこと。
中世、中国禅宗のメッカであり、禅宗とともに日本に入ってきたと思われます。
特に鎌倉幕府が「禅宗」を保護した関係も大きいようです。
この地域が、景勝地でもある「湘江の南部並みの絶景」であったという説や、
相模国の南部のため、本来「相南」とすべきところ、佳字を当てる意味もあって
中国の湘南にちなんだという説もあります。
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| | 大磯にある碑 |
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【湘南の範囲ってどこ…?】 現在、一般的には葉山・鎌倉から小田原あたりまでの県南部を指すようです。
が、歴史的にみてみるとこれにも変遷があります。
江戸期は大磯辺りが中心だった模様で、その流れで明治期には、相模川の
以西地域が『湘南』、相模川以東地域は『湘東』または『新湘南』と呼ばれて
いたとも言われています。
現在、相模川以東を『湘南』、以西を『西湘』と分ける呼び方が一般化しつつ
あることを考えると面白いですね。
少し硬くなりますが、県の行政区分における『湘南地域』は、
藤沢・茅ケ崎・平塚・秦野・伊勢原の5市と、寒川・大磯・二宮の3町。
一方未だ人気の全国ブランドである自動車の『湘南』ナンバープレートは
もっと広く県西の箱根町や山北町も含んだ広域になっています。
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| | 湘南の夕景 |
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湘南の『鉄道の歩み』
現在、湘南を走る鉄道は、
東西に走る大動脈としての「JR東海道線」
大船から分岐する形でJR横須賀線、湘南モノレール。
藤沢では小田急江ノ島線と、江ノ電が、
茅ケ崎からはJR相模線、
小田原では新幹線、小田急小田原線、大雄山線、箱根登山線
更に横浜地下鉄や相模鉄道、京浜急行など交通網ができています。
この鉄道の敷設の歩みを振り返ってみると…
●JR東海道線
明治20年 東海道線開通、 藤沢駅開業
明治22年 横須賀線開通、 大船駅開業
明治31年 茅ケ崎駅開業
大正 5年 辻堂駅開業
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| | JR 藤沢駅 | | 東海道線電車 |
●江ノ電
明治35年 江ノ島鎌倉電気鉄道開業 藤沢⇒片瀬(現江の島)間
明治36年 極楽寺まで延伸
明治40年 鎌倉(小町)まで延伸、明治46年 現鎌倉駅まで延長
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| | 江ノ電 藤沢駅 | | 江ノ電電車 |
●小田急江ノ島線
昭和 4年 小田原電気鉄道 江ノ島線(大野-片瀬間)開業
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| | 小田急 藤沢駅 | | 小田急電車 |
湘南の『鉄道』こぼれ話
東海道線
●藤沢駅は白旗神社前の筈だった…
東海道線は当初、東海道沿いに敷設し各宿場毎に駅を設ける予定であった。
この為、戸塚から藤沢間はほぼ直線で遊行寺坂下に至り、藤沢駅は白旗神社
前辺りに作る予定であった。
しかし、「蒸気機関車の火の粉が藁ぶき屋根に移って火事になる」と藤沢宿から
反対の声が上がり、止む無く路線経路を変更、山を越えた桃畑であった現在地
に駅が作られた。
●横須賀線は藤沢から分岐する筈だった…
路線経路が変わり、藤沢駅が桃畑の中に作られた関係で藤沢から分岐して作ら
れる予定であった横須賀線は、途中の大船信号所を駅に昇格させ、ここから分岐
することになった。
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| | 東海道線こぼれ話 |
地図拡大はこちら 江ノ電
●路線申請は何社も競合…
江ノ電は開業100年を迎えたが、日清戦争直後の明治28年、時を同じくして相次ぎ
3社から建設申請が出された。
・鎌倉電車鉄道 横浜黄金橋~鎌倉~江の島~藤沢
・鎌倉汽缶鉄道 横浜~金沢~鎌倉~片瀬~藤沢
・江の島遊覧鉄道 横浜金沢~逗子~鎌倉~藤沢
いずれも東京・横浜と江の島鎌倉を直結させる計画であったが認可は下りず、
明治29年地元資本による江の島電気鉄道に、藤沢~鎌倉間の認可が下り、
建設着手の運びになった。
●初めの計画はルートが違った…
当初の計画案は、藤沢駅から真っ直ぐ『江の島道』を辿り、片瀬街道を横切る
ルートで敷設される予定であったが、人力車夫の強い反対で、若干西側の
現ルートに変更された。
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| | 江ノ電こぼれ話 |
地図拡大はこちら小田急江ノ島線
●当初は、御所見を経由する大回り案が…
御所見地区を経由しながら藤沢に至る西部ルートが有力案であったが、最終的
に大野(現、相模大野)からほぼ直線で南下する現在の東部ルートにて決着した。
●藤沢:江の島間には、駅はひとつ…
当初案では、現在の本鵠沼駅と鵠沼海岸駅は無くその中間に一駅だけ(仮称:
鵠沼停留所)が建設される予定であったが、陳情等もあり現在の2駅が建設される
に至った。因みに、既に江ノ電に鵠沼駅が存在していたため混乱を避ける意味で、
駅名は『本鵠沼』駅とされた。
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| | 小田急こぼれ話 |
地図拡大はこちら目次に戻る
■想い出の湘南…編
パシフィックホテル茅ケ崎
その昔、134号線を海岸沿いに走ると、防砂林を突き抜けてそびえ建つ、
斬新な白い建物が目に飛び込みました。それが、パシフィックホテル茅ヶ崎です。
湘南を一度でも車で走ったことがある人なら誰もが知っているホテルでした。
俳優の上原謙と加山雄三らがオーナーで、1965年開業、時代の先端を行く
お洒落なリゾートスポットとして人気でした。
ホテル、レストラン、ティールーム、ブティック、ボウリング場、プールなどの施設を
備えていて、いつも、若者やリゾート気分を楽しむ大人の人々で賑わっていました。
しかし、オーナー負債のために売却され、休業・再開を繰り返して1988年に廃業。
しばらく建っていたホテルの建物も、ついに1998年取り壊され姿を消しました。
今やその面影も見つけられなくなりましたが、サザンオールスターズや
ブレッド&バターなど、多くの楽曲にその姿が刻まれて、パシフィックホテルという
名前だけは若者たちへ語り継がれています。
そこで!…私も探してみました、古いアルバムを!
都内の大学に通っていた学生時代(60年代の終わりから70年の始め頃のこと)。
何かと言えば友人たちと車を海へ走らせました。友達とよく寄ったのはホテルの
1階にあったティールーム「フローレンス」。プールで泳ぐ人たちを横目で眺めながら
飲むアイスコーヒーがとっても美味しかった・・・
その頃の写真が出てきました。海岸からパシフィックホテルを背景に、セルフ
タイマーでカシャ!若いころは何をやっても楽しかった! そんな時代のワンシーン。
忘れられない、懐かしい場所。パシフィックホテル茅ヶ崎・・・です。
インターネットで見つけた
あの頃のパシフィックホテル茅ヶ崎 の詳細です。
よくこんなパンフレットを…。サイトの作者の方に感謝です。 (to)
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| | 湘南のシンボルだった頃 | | 私たちも若かった! |
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湘南に生まれ住んで…地元っ子の湘南 生まれも育ちも藤沢、通学・通勤も全て自宅から通える範囲だったので寮生活や
単身赴任などした経験がない。だから、「湘南」を外から見たことなど無く、湘南の
良さ悪さを客観的に比較する対象がない……
そんなことを言っていては始まらないので、5,60年前の「湘南」を想い出してみよう。
「湘南」と言う言葉を最初に耳にしたのは、「湘南高校が甲子園で初出場・初優勝」
という兄から聞いた話だったと思う。昭和24年のことなので、当時私はまだ8歳…
だから当時の記憶ではなく、それから相当後に耳にしたことだとは思うのだが…。
その時の優勝投手 衆樹資宏(もろきすけひろ)は、後にプロでも活躍し、藤沢では
非常に有名で、私には「湘南」と言う言葉よりも「衆樹」の方が記憶に残っている。
その頃、あの有名な「湘南電車」が走りはじめた。
それはとても長くて、緑色と橙色のラインが印象的で、地元では蛇に似ていたので
青大将(蛇)と呼んでいた。地方に行くと今でもその車両を目にすることが出来る。
現在、JR藤沢駅ホームのキヨスク売店が、昔の「青大将」塗装で、懐かしさを感じる。
現在の車両ははステンレスとなったが、帯の部分にこの湘南電車のイメージが継承
されている。
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| | 古い湘南電車(冷房なし) | | 現在の東海道線 |
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| | 青大将キヨスク |
昔は江の島周辺を「東洋のマイアミ」と言っていた。
ラジオやテレビのニュースで毎日のように海水浴客の人出を放送していた。
周囲には高い建物はなく夏になると海の家だけが林立していた。
西浜には乃木大将の銅像跡も有った。
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| | 西浜 乃木大将の銅像跡(昭23) |
我家は引地川の近くだった。今は川岸が整備されてほぼ直線になっているが
昔は大きく蛇行してユックリ流れていて、その深い所を探して泳いだ。
その為、江ノ島に泳ぎに行った記憶はほとんど無く、古希を迎えた私は合計し
ても、10回も行っていないと思う。
私にとって(江の島付近の)海の印象は「汚い」に尽きた。だから友人が遊びに
来て江の島に案内する時は東浜に行った。西浜は境川と引地川の2本の川が
流れ込んでいるのでほとんど行かなかった。
「藤沢がいいなー」と思ったのは、川崎や東京から勤め帰り、湘南電車で藤沢駅に
降りた瞬間の空気の味だった。
私に「湘南」と言う言葉が強く印象に残っていないのは、その中に居るからかも
知れないが、その他に「湘南」がどこからどこまでを言うのか、ハッキリしていない
ことも要因のように思う。
だから、デートで「湘南」に行こう、なんて言ったことはない。 (ic)
目次に戻る ■湘南点描…編
浮世絵に見る江の島
江の島は、湘南の景勝地の一つとして、必ず五本の指に入るでしょう。
この江の島が観光スポットとして眩い脚光を浴び始めたのは、江戸時代から。
江戸近郊のお手軽スポットとして(当時は2泊3日位が標準的であったようで)
多くの江戸庶民から親しまれていました。
当時の江の島を知る資料の一つに浮世絵が挙げられるでしょう。
江の島をモチーフとした作品はとても多く、当時の人々にとても人気のスポットで
あったのだと想像されます。
江の島詣は勿論のこと、隣接する鎌倉観光との組み合わせはもっとも一般的で、
時には大山まで足を延ばすこともあったようです。
今に例えると、東京の美術館で話題の展覧会を見てオープン間近のスカイツリー
を眺め、築地で美味しいお寿司でも食べて帰るという感覚でしょうか。
浮世絵に話を戻すと、この手の作品の中には、“江の島”そのもの風景画として
描かれているものが数多くあります。
代表的な作品として、江の島をまるで亀の甲羅のようにまんまるに描いたものや、
七里ヶ浜方面(今の稲村ヶ崎付近ではないかと思われます)から眺めた江の島
などが目をひきます。
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| | 亀の形の江の島 | | 七里ガ浜から望む江の島 |
もう一つ忘れてはいけないのが、江の島にまつわる風俗画です。
葛飾北斎が描いた“貝屏風”は当時の江の島土産を知る、唯一の作品と言える
でしょう。花鳥風月を貝に貼り付けた屏風仕立てのお土産は、今見てもその貝の
持つ淡い輝きにときめきを感じ、そして“貝”や“屏風”をいうモチーフに何か縁起
のよさを感じます。
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| | 貝細工のみやげ物 |
書店には、“湘南”“鎌倉”を特集した雑誌は四季を通していつも沢山ありますが
江戸の時代からかなりの歳月が経た現在でも、相変わらずの人気スポットである
ことは間違いありません。
江戸時代に刊行された旅行本や道中案内本とともに、写真に代わって浮世絵で
江の島や鎌倉のことが今同様に紹介されていたことに思いを馳せると、今も昔も
何も変わりなく人を受け入れている江の島の時代を超えた魅力を感じざるを得ま
せん。 (mo)
浮世絵は、藤沢市電子博物館から提供頂きました。ほかにも沢山あります
リンクはこちら⇒http://www.mus.city.fujisawa.kanagawa.jp/php/history_type.php
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江の島裸弁天と龍
古来江の島観光の目玉といえば、江の島神社詣りです。
江の島神社は、欽明天皇によって建てられた古い歴史のある神社ですが、ずっと
庶民に親しまれ愛されてきました。
御祭神は、天照大神と須佐之男命(すさのうのみこと)との間に生まれた
三人姉妹(女神)で、それぞれ江の島神社の奥津宮、中津宮、辺津宮に祀られ、
この三女神を江の島大神と称します。
辺津宮には、八臂(はっぴ)弁財天と妙音弁財天が祀られていますが、この妙音
弁財天が、裸弁財天で江の島神社のシンボル、つとに有名で人気があります。
女神でありながら、弁財天というのは仏教との習合により弁天様になりました。
幸運や財を招くとともに、芸道上達のご利益のある神様です。
江戸時代、振り分け荷物のテクテク歩きで参拝する神様が、裸弁天様とあらば
善男善女、とりわけ男衆の足取りはさぞかし軽かったでしょう。
“江の島縁起”という五巻からなる絵巻物があります。
ストーリーは“鎌倉で悪行を重ね人々を困らせる五つの頭を持った龍がいました。
そこへ天下った天女が五頭龍を諭し悪行を止めさせました“というものです。
天下ったその天女が弁財天で、その時に出現したのが、江の島だそうです。
絵巻物は、江の島神社のお宝ものですが、展観に供される時もあるはず。
ぜひ眼福に預かりたいものです。
平成24年は辰(龍)年、縁起にあやかり弁天様を詣で、良い運を引き寄せようと
思います。
(りんたろう)
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| | 妙音弁財天半跏像 |
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稲村ケ崎界隈散歩 湘南に住居を構えることは、多くの人の夢でもあったと思います。私たち家族も
例外ではなかったのです。
いまさら、湘南とはどの辺の地区、範囲をいうのかはそのとり方は立場によって、
さまざまです。「大磯から逗子、葉山にかけて」という説もあります。しかし、不思議
なことにこの範囲に含まれる鎌倉は、神奈川県では「湘南」には指定していないと
いう説もあります。その理由はともかく、「湘南」の定義は明確でないのもまた明らか。
そんな鎌倉は、三方が山に囲まれ、一方が海という天然の要害の地形をしている
のが特徴です。それゆえ、私の住む稲村ガ崎は鎌倉の縮図と感じることさえあります。
なぜなら私の住まいの周辺は、山や海に囲まれているからなのです。
そんな私は、”一家一城の城主”といったところでしょうか(笑)
それでは、「風光明媚」、「容姿端麗?」の稲村ヶ崎をぐるりと散策してみましょう!
「稲村城?」を出て、西の方角に向かうと緑に覆われた「プロムナード」にぶつかります。
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| | 稲村城? | | プロムナード |
ここは愛犬を引き連れた家族の遊歩道にもなっていて、何気なくすれ違う人とも一礼を
交わすこともあり、また「こんにちは」と言葉を交わすこともあります。
静かに周りを見渡しながら、南へと向かうとキラキラと輝く大海原が顔を出します。
要害の一角をなすとは思われないほど「穏やか」で「雄大」で「頼もしさ」を感じます。
日が暮れるころになると日中とは異なり、その姿は一変し、陽は霊峰富士の陰に
隠れるように静かにその姿を消していきます。大海原はそれを見送るかのように
真っ赤に色を染めるのです。
さらに進んで、「鎌倉プリンスホテル」を過ぎたころになると、今までの静けさとは
打って変わって、往来する車のエンジン音が騒がしい「134号線」に行き当たります。
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| | 大海原をのぞむ | | R134号線 |
いずこかへと急ぐ、あたかも大動脈を流れる血液のように、物流道路を進む車列は
滞ることなく、いつまでもつづきます。
逗子方面に矛先を変えて進むと、「稲村ガ崎名将の剣投ぜし古戦場・・・」の小学
唱歌で知られる「稲村ガ崎公園」を目のあたりにすることができます。
「稲村ガ崎公園」に別れを告げ、北へと方向を変えると稲村ガ崎の駅舎にたどり
着きます。その周りには寄り添うように立ち並ぶ商店街があります。
これから先には、脈打つような山がみえ、緑の衣で覆われた閑静な住宅街へと
その姿を変えていきます。
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| | 要害の山 |
小高い山の頂には屋根だけを恥ずかしそうに覘かせている家屋を覗うことがで
きます。さらに進み路地を北西へと進路を変えて山道を進むと、標高48メートルの
地に構えた「稲村城」へと帰城することができるのです。 (kt)
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■湘南ゆかりの本…編
湘南ゆかり…お薦めの雑誌・本 ~おすすめ8冊!~
書店に行くと湘南について書かれた雑誌、単行本は沢山出ている。
著者も湘南在住者が多く、自ら目に触れ、食し、活動する、ライフスタイル
そのものが描かれている。
そんな「湘南ゆかりの本」とでもいうべきおすすめ本8冊を紹介したい。
★★★★ 雑誌・他 ★★★★
湘南スタイル出版社 エイ出版
出版年月 年4回 (3、6、9、12月)発売
定価 980円(税込)
内容: 海と山に囲まれ、東京とは違うゆるーいリズムが流れる湘南。
湘南で魅力的に生活する人たちの姿を通して、湘南に住む人、
また湘南での暮らしに憧れを持つ人に向けた、“湘南らしく”豊かに
暮らすコツを紹介するライフスタイルマガジンです。
湘南鎌倉自転車散歩 出版社 山と渓谷社
出版年月 2010年4月
定価 1,785円(税込)
内容: 明るい海とゆたかな山に囲まれた古都鎌倉と湘南エリアには、
地元の人はもちろん関東一円からサイクリングに来るファンが
絶えない。
著者は、この地に在住するライター、カメラマン。裏道レベルの
コース情報はその密度が濃く、普段着で気軽に自転車散歩を
楽しみたい、けれど通り一遍のガイドブックでは満足しない、と
いうファンにも満足してもらえる。
電車やマイカーで自転車を運ぶのは面倒という人たちに、現地
のレンタサイクルショップも紹介されている。
ラーメンの繁盛店出版社 湘南海童社
出版年月 2011年10月
定価 1,200円(税込)
内容: 神奈川県内せましと走り回り、食べ回った結果、話題の新店、
穴場のラーメン店を藤沢市の出版社が完全網羅している。
掲載店は県内全域300軒強。その内約50軒は今年度新規掲載。
江ノ電のりおり各駅ガイド出版社 湘南よみうり新聞社
出版年月 2010年12月
定価 390円(税別)
内容: 湘南を毎日駆け抜けている地元新聞社が発行する小冊子。
今も昔も愛され走りつづける江ノ電。江ノ電沿線のレストラン、
甘味処、カフェ、名所、観光など人気スポットを日々の取材を
通してくまなく紹介してくれる。
各駅時刻表や駅周辺の紹介、お土産など、これ一冊あれば
藤沢~鎌倉の小旅行に便利だ。
★★★★ 単行本 ★★★★
湘南―海光る窓 出版社 文藝春秋
作者 城山三郎
出版年月 1997年1月
定価 459円(税込)
内容: 「海の見える家に住みたい」長年の夢をかなえて、湘南海岸の
茅ヶ崎に移り住んで40年。「月洋亭」と名づけた仕事部屋からは
左手に三浦海岸、右手に伊豆半島、その間の帯状の空間に雄大な
太平洋が広がっている。
海をこよなく愛する著者が、年毎に変わりゆく海と風俗、そこに住む
人々、四季折々の湘南と日毎に変わる「光る海」を愛情をこめて爽
やかに描いた珠玉エッセイ。
鎌倉江ノ電殺人事件出版社 徳間書店
作者 西村京太郎
出版年月 2009年12月
定価 900円(税込)
内容: 現場に残されたオモチャの江ノ電に「2」という数字が貼られて
いたことから、警視庁捜査一課の津川と亀井は、第二の殺人が
江ノ電に関係すると推理、鎌倉へ向かう。
翌朝、江ノ電が女性を轢いたとの連絡が入ったが、轢かれる前に
女性は絞殺されていた。その後、鎌倉駅に放り込まれた女性の
ハンドバッグから江ノ電のオモチャが発見されるが、身許を証明する
物は残されていなかった。二つの事件に関係性はあるのか?
梅一輪・湘南雑筆(抄) 出版社 文芸文庫
作者 徳富蘆花
出版年月 2008年1月
定価 1,365円(税込)
内容: 明治元年生まれ、昭和二年没。理想を求め現実に躓き、なお人として
良き道を往くべく苦闘した蘆花。兄蘇峰への敬愛と離反、明治社会の
矛盾への真摯な批判。トルストイに心酔、日露戦争後のロシアを訪ね
る求道。多面的な明治人蘆花の名品を精選 。
熊本での幼少期、身近に砲声を聴いた西南戦争を背景に、ある一家の
悲劇を描く「灰燼」、貧者救済を己に課し、異国で死ぬうら若い女性の
凛とした生き方を、キリスト者の求道と人間的悩みの両面から描く「梅一輪」、
農的生活の実践論「美的百姓」等、近代日本の光と影を一身に体現する
蘆花文学の精髄二十四篇。
湘南の風に吹かれて豚を売る出版社 かんき出版
出版年月 2009年11月
定価 1,470円(税別)
内容: 著者が就職活動からNPO立ち上げに至る過程で人との出会い、
何を考え、どんな決断をしたかが、情熱を持って語られている。
きつい、汚い、かっこ悪い3K産業に飛び込んで起業した著者が見つ
けた既存のルールに囚われない働き方、考え方のヒントが満載。
働くことの意味、起業を考えている人にもおすすめ。 (nino)
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あの「湘南賛歌」の著者にインタビュー ~遊び心は好奇心から~
湘南に住む人なら誰もが目にしたことがある「江ノ電沿線新聞」、その創始者、
吉田克彦さんが執筆した「湘南賛歌」を読み、どうしてもご本人にお会いしたく
なりました。
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| | 著書「湘南賛歌」 |
生まれは九州、熊襲(くまそ)の血を引くと豪語される吉田さんは、もともとは
松下電器の技術者で、文筆の道に入られたのは社内報や組合誌のコラムが
きっかけだそうです。
それでも、旺盛な好奇心は、ひたすら感動を人に伝えたいという一心に、姿を
変えました。
「江ノ電沿線新聞」を立ち上げたのも、
蒸気機関車を保存しようと署名運動を始めて、江ノ電、江ノ電デパートに行き
ついたのが始まりでした。当時、小田急は100キロの路線を持つのに対し、
江ノ電はたったの10キロ、その沿線の新聞なんて3号も出せばネタはすぐに
底をつくと笑われたそうですが、溢れる興味の財宝をかかえている吉田さんには、
エールとしか聞こえなかったのでしょう。
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| | 吉田克彦さん | | 下駄ばきの吉田さん |
吉田さんを語るには、その風貌を見逃すわけにはいきません。以前、江ノ電沿線
新聞社を訪れた時、私の後ろを下駄を履いた一人の男性が通り過ぎました。
不思議な光景として私の目に映りましたが、その方こそ吉田さんだったのです。
九州男児である吉田さんが湘南を評すると「奇人変人に優しい街」となります。
洋服に下駄履きといういでたちは、湘南の文化人には哲学的に見えるらしいという
話が言い得て妙です。
そんな吉田さんがとっておきとしているのが、湘南を舞台とした昔の映画のDVDや
VHSテープです。
先日、見せていただいたのは「江の島エレジイ」と「踊る竜宮城」でした。
後者は何んと、幼いころの美空ひばりが歌って踊るという奇想天外なファンタジー
オペレッタでした。木作りの江の島桟橋がコンクリートに変わったばかりの頃らしく、
当時の湘南を知っているお年寄りは懐かしさで胸があふれることでしょう。 (it)
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■1月の「湘南」るぽるたーじゅ
●1月1日 2012年 湘南海岸の初日の出
2012元旦、湘南海岸での初日の出予定時刻は、6時50分ごろ…
でもその30分以上前には、もう多くの人が集まっている。
恋人同士のカップル、元気な若者たちのグループ、初老のご夫婦、
元気なお父さんの家族連れ、犬を連れた美女、…
予定の時刻になっても、東の低い位置には雲が邪魔をしていて明るくは
なるものの、太陽は顔を出さない。上空は晴れているのに…
折角…初日の出見ないと帰れない!待つこと15分、雲の間から僅かに
ちらっと顔を覗かせた太陽…
それから10分、7時13分 まん丸の2012年初日の出にやっと会えた。
『わぁー!』『きれい!』の声が思わずあちこちから…
おごそかな雰囲気が漂う。
陽の光がさすと急に暖かくなった。太陽の有難さを改めて実感した瞬間。
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| 6:51 日の出の時刻だが… | | 7:03 雲の切れ間にちょっと… | | 7:13 やっとまん丸太陽が… |
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| 気が付けばこんなに多く… | | 初乗り…でも波が… | | モスも6時開店… 店長さん |
目次に戻る♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦
●1月1日 湘南の初詣 2012年元旦、予報は曇りであったが、穏やかに晴れた比較的温かい日、
この天気に誘われた人も含め、善男善女が初詣に…
江の島神社初詣をルポした。
江ノ電江の島駅や、小田急片瀬江ノ島駅から多くの人が吐き出されてくる。
江の島に渡る自動車道は、先の駐車場が満杯のせいか全く動かない。
人道橋も例年より空いている気もするが、それでも自転車は通れないほど混雑。
続く参道も、自然に出来た左側通行の流れでこれから参詣する人と帰る人で満杯。
石段先の門をくぐったあたりから人の列…並ぶこと45分、やっと本殿(邊津宮)
二礼二拍手一礼の作法に則り、年頭の祈願を行う。
古いお札を返納し、新しい御札と破魔矢を購入。
帰りは人混みの参道を避け、児玉神社横の裏道(階段道)を辿って橋の袂へ。
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| 島の入り口… | | 参道の混雑を経て鳥居へ…/TD> | | 本殿に参拝までは行列… |
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| 並ぶこと45分… | | やっと本殿、参拝… | | 番外 : 鵠沼伏見稲荷… |
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●1月2日 箱根駅伝 往路~ 恒例の箱根駅伝 今年で迎えて88回。
東京―箱根間218kmを2日間10人の走者が「最も過酷駅伝」を駆け抜ける。
1本の襷に繋ぐ伝統、仲間との絆。自分と、そして自然との闘い。
毎年感動とドラマが繰り広げられる。
予選を勝ち抜いた関東の大学20チームで争われるいわば地方の大会が、
今や全国ネットで中継され、出雲・伊勢と合わせ大学3大駅伝とさえ呼ばれる
人気行事となっている。(関東以外の大学には若干失礼かとも…)
とは言え、行程の8割以上が神奈川を縦断する形で駆け抜けて行くレースであり、
我々湘南に暮らす者にとって、正月三が日の風物詩として無くてはならない行事。
今年も、戸塚~平塚までの3区では、東洋と早稲田がトップ争いを繰り広げ
以下も混戦模様で通過して行ったが、その後早稲田を引き離した東洋が首位に立ち
5区山登りでは山の神榊原の活躍で二位以下に五分以上の差をつける往路新で
往路4連覇。
3日の復路もこのリードを更に広げ、昨年惜しくも逃した総合優勝を大幅な大会新記録で
飾った。
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●1月9日 新成人おめでとう 20歳の若者に乾杯! 1月9日(祝)全国で新成人を祝う式典が開かれたが、藤沢市でもこれ以上ない
ほどの好天のもと、市民会館を会場に成人式が開催された。
若さという美しさに加え、晴れの衣装に着飾った20歳の若人が大集合(40数年前
の記者の成人式はセーター姿が多かったという記憶からは隔世)。
この華やかさはまさに平和と豊かさの賜物…と感謝。
お正月の初詣で滅多に見ることのなくなった振袖晴れ着姿、年に一回のチャンスを
楽しんだ。それにつけても、男子の衣装は詰まらない。
葬式帰りか会社帰りか殆ど唯一ネクタイで区分するだけとは…
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| 開場前のオープニング式典 | | 多くの若者が集まった… | | 開場、続々入場… |
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●1月14日 白旗神社の左義長神事(どんど焼き) 正月14日午後2時から行われる左義長神事は、「どんど焼き」あるいは「さいと焼き」とも云われ、古神礼や正月の注連飾り、門松等をうず高く積み重ねて火を焚き清め、御加護を戴いた神々に感謝を捧げるお祭りです。
赤白青のまゆ玉だんごを作り枝にさして神さまにお供えし、そのだんごをこの火で焼いて食べると無病息災と云われ、又この火にあたると厄病神がとりつかないとも、又書初めを燃やして天高く上がれば腕もあがると云われています。
古くから続いているこの正月行事は、まちの辻で行われ、当地区では白旗川堤防で行われていましたが、戦後間もなく途絶えてしまいました。
細々と「どんど焼き」を行っていた白旗横町と森脇町が相図り、白旗神社の協力を得てこの境内で昭和57年1月14日に白旗左義長神事として復活しました。
その後、本町白旗商店街の全面的な支援を得、又各町内会が続々と参加し、藤沢で最大規模の「どんど焼き」となっています。(白旗左義長神事の境内の看板を転載)
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担当者:KA